「わたしという存在を生きる」ということ

 

うれしいこと 

おこること 

かなしいこと

たのしいこと 



7月は

そのひとつひとつの

出来事をとおして

かんじたり、考えたり、 

あらためて気づいたことがあります。 


やっぱり

ここに還るんだな。 


わたしは

わたしに還る。 


そして、 

ここからまたはじまる。


お盆も終わり
なんだか、ご先祖さまたちと
深くつながったような気がしています。



「わたしという存在を生きる」ということ。


誰かになるのではなく

誰かの答えに合わせるのでもなく

わたしがかんじていること

わたしが大切にしたいことを 

大切にしながら生きていく。 


それが、 わたしにとっての 

「わたしというありかた」

 なのだと思います。 


わたしというありかたを大切にする 

そのために、 自分の内側を見つめる。 


起きている出来事をとおして

わたしは何をかんじているのか。 


なぜ、そうかんじるのか。 


自分の中に

どんな思い込みがあるのか。 


どんなことを

いつも同じように繰り返しているのか。 


自分の中で

パターン化していることに 

気づいていく。 


でも、 それは

自分を責めるためではない。 

相手を責めるためでもない。 


「わたしが合っている」 

「わたしが正しい」 

「あなたが間違っている」


そんなふうに

正しさをぶつけ合うことは

いつしか戦いを生んでしまう。 


わたしが正しい。 

あなたが間違っている。 

そのどちらかに 立つのではなく


被害者でもなく

加害者でもなく 

 

ただ

「いま、ここで何が起きているのか」 

を見つめてみる。 


わたしは

何をかんじていたのか。 

何を大切にしたかったのか。 

どんな思い込みやパターンが 

そこにあったのか。 


わたしには、わたしの感じ方や

大切にしているものがあるように


相手には、 相手の感じ方や

相手の大切にしているものがある。 


それぞれが、

それぞれの場所から世界を見ている。 


だからこそ

どちらかが正しくて

どちらかが間違っている

ということだけでは終わらせたくない。 


気づくことは、 

誰かを裁くことではなく


自分を知り、 相手を知り、

そして、 これまでのパターンから 

自由になっていくこと。 

軽やかになっていくこと。

輝きになっていくこと。


そこにあるものに 気づいたとき。 

そこにあるものを かんじたとき。 


わたしの中にあったものは、

少しずつ ほどけていく。 溶けていく。 


これまでのわたしも 

赤ちゃんを胸に抱くように 

やさしくそっと包みこむ。 


ありたい未来のわたしを

今ここから選んでいく。 


わたしは何度でも 自分に還り

自分の人生を 選び直す。


いまは、誰にでもなれる。 

どんな人にもなれる時代。 


顔を出さなくても

本名でなくても生きていける時代。 


だからこそ、 

わたしには大切にしたいことがあります。 


わたしというありかたと

わたしが大切にしていることを

ちゃんと大切にしていきたい。 


「わたしは、どうしたい?」 

いつも自分に問いを持ち続ける。 


誰かの答えに合わせるのではなく

そのときのわたしの感覚を感じ

わたしと大切な人の

笑顔になる未来を選びつづける。 


そこに、 わたしにとっての豊かさがある。 


そして、 わたしはリアルに

人と出会い、つながっていきたい。 


人と人が出会うと

そこには、交流がおこる。 


言葉だけではなく、

表情や声、空気、 

その場にあるものを五感で感じる。 


自然に触れるときのように

人と人とのあいだにも 

エネルギーが湧き上がる。 


そこにあるのは、

人と人との交流であり

いのちといのちの交流。 


 だから、 自分にも、

相手にも 敬意をもちたい。 


思いやりをもち

互いを理解しようとする気持ち。 


それぞれが

それぞれの「わたし」を 

大切にしながら出会う。 


そんな場を

わたしは大切にしたい。 


はっぴぃのたねは、

そんな 「いのちといのちが出会う場」

 でありたい。 


わたしはどうしたいのか。 

何を大切にして生きたいのか。 


問いを持ちながら

自分の感覚を感じ

わたしらしい未来を選んでいく。 


そして、 人と出会い、 

感じ合い、 笑い、 

語り、 ともに過ごす。 


そんなリアルな交流のなかで

ひとりひとりの「いのち」が 

自然にひらいていく。 


わたしは

こういう世界を生きている。 


誰かになろうとするのではなく

誰かの答えに合わせるのでもなく 


それぞれが

それぞれの「わたし」を生きながら

 出会い、つながり、 

いのちといのちが ふれあっていく世界。 


そんな世界を

まずはわたしから生きていく。 


そして、 そんな場を 

これからもひらいていきたいな。


いつも本当にありがとうございます。


ドロシー ジュンコ


(6月に訪れた高千穂にて)



日常の出来事から、自分に還る


先日、セッションを

うけてくださった方から

ご感想をいただきました。


*・゜゚・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゚・*


じゅんこさん こんにちは〜 

先日はありがとうございました。 


日常での出来事から

今回もたくさんの

気づきをえることができました。 


相手のペースにのまれてる 


それは、早くしなきゃと

思うことが引き金になりやすいパターン。 


振り返ると同じ癖でした。 

 

自分の違和感や、

モヤっの感覚を信じて、 


これは、 

癖のにおいがするぞーと 気づき、 


真ん中の自分に戻り、

自分で決めて、選択すればよいのですね。 

 

傲慢と我慢。 

どちらも、

自分の凝り固まった考えに

執着してるからですね。 


我慢していても、

いずれ、こんなに我慢、

してあげてるのにぃーと 

変化していくなーと、冷静に思いました。 


出来事を 

事実、感情、本音にわけて、

自分を知って、未来が軽やかに、

輝くような選択をしていきたいと感じました。 


いろんな自分がいて当然で、 

自分にしかない感性で、 

自分の世界が作られているって言うことが、 


今回の、なんだかなぁーの

出来事を通して、よりわかりました。 


なので、 本当に自分次第ですね。 

 

なんだかなぁーという思いが

すっきりし、よく眠れ、やる気もでて、

腸も活発に動いて、すごく 快便です。 


こんなにもこたえてくれる自分の身体。


体の声を聞いていくことの

大切さも改めて体感しました。 


自分の感覚を信じて、

気づいて、選択して。 

日常を味わっていきます。 

 

ありがとうございました😊


(40代 女性)


*・゜゚・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゚・*


日常の出来事は

ただ起きているだけではなく

そこには、 「わたし」を知るための 

たくさんの入口があります。 


違和感も、 モヤモヤも、 

うれしさも、 怒りも、 悲しさも。 

 

そのひとつひとつを感じながら、 

自分の内側を見つめていく。 

 

そして、 

「わたしは、どうしたい?」 と

自分に問いかける。 

 

気づいたら、 

また真ん中の自分に戻り

自分で選ぶ。 


その繰り返しのなかで、少しずつ

「わたしという存在を生きる」 ことが 

日常になっていくのだと思います。



はっぴぃのたね

自然というわたしに還り いのちはめぐる くらしを育み 次の世代へとつないでいく セルフケアリトリート® はっぴぃのたね