新月みずがめ座 雨水うお座のはじまりにむかって



新月みずがめ座 

雨水うお座のはじまりにむかって


調和の景色 

わたしたちはいつのまにか

みえるものに価値を置くことに

慣れてしまったのではないかなと

おもう時がある。 


数字、成果、形、肩書き。 

目に見えるものは比べやすく、 

評価しやすく、安心しやすい。 


けれど、 成果とは

何をもって成果というのだろうと

考えてみたら。。。



子育ての気づき

たとえば、子育ては

成果がとてもわかりにくい。 


昨日できなかったことが 

今日はできるようになり

また次の日には

できなくなることだってある。 


わたしの子育てを振り返ると

時間はかかったものの

まずは肯定することが 

大切だったと思う。 


うまく育てようとするのでも

「こうあるべき」に

当てはめるのでもなく

ただ、 目の前にいる

その子をそのまま肯定すること。


そのことが 

その子をひとりの存在として 

そしてわたし自身も育ててきたように思う。 



みえないものとみえるもの 

想いや気持ちは、確かに大切。 

でも、気持ちだけでは 

相手には伝わらないこともある。 


子どもを想う心があっても

ごはんをつくる

話をきく

手をつなぐ 

そんなちいさな行動があって初めて 

そのおもいは現実のなかで生きる。 

 

だから、

みえないものと、みえるもの。 


どちらも大切にして

重ねていくことが 

本当の意味で世界や誰かに

届くことにつながるのだと思う。 


けど、わたしは、本当に 

わたしたちを動かしているのは 

みえないものではないのかと思う。


きもち。 

感情。 

こころ。 

信頼。 

ぬくもり。 


それらは 

手に取ることができないし 

証明することもむずかしい。 


それでも、わたしたちは 

誰かの一言に救われたり 

さりげない優しさに 

進む力をもらったりする。 


ミエナイモノハシズカナチカラ


けれど、確実に世界を動かしている

と思ってる。 



くらしの中で

みえないものに 

価値をみいだすことは 

「かんじること」が大切だと思う。 


それは特別な時間のなかではなく

日常のささやかな瞬間にあるもので 


出来事にすぐ意味を与えず 

良いとも悪いとも決めずに

判断することを少し脇に置いてみる

ということだったり


ただ、 目の前に起きていることを 

そのままみる

ということだったり


余計な解釈や執着を重ねず 

在るものを、在るままに

ということだったり


くらしのなかで

たちどまってかんじてみたり

ながめてみるということの

くりかえし くりかえしで


そのときふとした瞬間に

世界は澄んでみえる

ということに気づくのだと思う。



調和の景色 

みえるものと みえないもの。 


そのどちらかだけでは 

やはりどこか偏ってしまう。 


みえるものだけを追いかければ

心は乾いていくかもしれないし


みえないものだけを大切にしても

行動や現実が伴わなければ 

おもいは届かない。 


みえるものとみえないものが

調和するとき 


行動(みえるもの)に 

あたたかさ(みえないもの)が

宿ったり


成果(みえるもの)に 

意味(みえないもの)が

宿ったり


言葉(みえるもの)に 

想い(みえないもの)が

通ったり


そこには
心のかよう循環が生まれる



偶然の虹 

わたしは最近

「自分が世界をつくる」よりも 

「偶然が世界をつくる」 のかも

しれないと感じている。


出会いも、別れも 

思いがけない出来事も 

その瞬間には意味がわからないし

ただの出来事にみえる。 


けれど時間がたつと 

「あれがあったから今がある」 

と思える瞬間がやってくる。 


透明だった偶然は 

あとから色を帯びることもある。 

その色は一色ではなく

うれしさも、痛みも、

迷いも、後悔も、 

すべてが混ざり合って 

これでいいのだ~と

にじいろになる。 


偶然は 

振り返ったときに初めて光る。 


そしてその光に気づくとき

わたしたちは 出来事を

そのままみていた 

あの瞬間を思い出すのかもしれない。


いまわたしのなかに 

浮かぶにじは暖色。 


赤や橙や、やわらかな黄。 

燃えさかる炎ではなく 

そっと灯るあかりのような色。 


そのあたたかさは 

自分に向いていると同時に 

世界そのものにも向いている。 


自分を責める火ではなく 

世界を責める火でもない。 


ただ、自分をゆるし 

世界を信じるぬくもり。 


もしかすると

調和の景色とは

「わたし」と「世界」が 

向かい合う構図では 

ないのかもしれない。 


夕焼けにつつまれるように 

ただそこにともに在る感覚。 

境目がすこし溶けるような感覚。 


みえるものとみえないもの。 

意志と偶然。自分と世界。 


それらが混ざりあい

溶け合い ひとつになるとき

世界はにじいろに

つつまれていたことに

気づくのかもしれない。



自分らしくしあわせであろうね~



はっぴぃのたね 

ドロシー



ちいさな気づきのたねが

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はっぴぃのたね

はっぴぃのたねは ゆらぎや不調を「なくす」場所ではなく それらを通して「自分を知る」場所です ここでは かんじることが大切 ゆらぎや不調 そして 怒喜思憂恐も すべては自分を知るための一部 植物と自然に身体と呼吸をあわせて 自然という自分にかえり いのちの輝きと響き合う世界を 一緒にたのしみましょう